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この抄録は,順天堂醫事雑誌67巻5号,p427-431,2021掲載の『Retirement; when I joined Izunagaoka Hospital in 1986, I did not think I would be in Izunagaoka until I reached retirement age...』の和文抄録です.順天堂醫事雑誌2021. 67(5), 509抄 録 私は,1980年順天堂大学を卒業後麻酔科に入局した.1986年春,医局長から伊豆長岡病院への赴任を打診され,承諾しました.当時は,1000例に満たなかった年間手術件数も2000年には,麻酔科管理症例で3000例を超え,2020年には全手術症例数が8500例となった. また,1990年に外来業務として,ペインクリニックを開設し,3年後には年間外来患者数が2000例を超えた. 2004年日本麻酔科学会東海地方会の主催時に,静岡県東部で初めて救急蘇生の標準教育のセミナーを行い,以降静岡東部ACLSとして多職種連携の蘇生教育を展開した. 今まで,麻酔科医の努力なくして,外科系が強い病院は存在し得ないとの思いで当院の麻酔科を主宰してきたが,手術室業務に追いまくられ,ただ忙しく働くだけの麻酔科は当然魅力に欠け,研究面の充実なくしては数年前の崩壊の危機につながったが,いろいろな方々のおかげをもって状況は回復しつつある. 最後に定年まで,当院で働けたことに感謝します.キーワード: 年間手術件数、ペインクリニック外来業務、救急蘇生教育、緩和ケアサポートチーム、麻酔科の危機順天堂大学医学部附属静岡病院 麻酔科・ペインクリニック5091986年入職時には定年まで伊豆長岡にいるとは思わなかった・・・定年退職を迎えて岡 崎   敦

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